大徳寺境内は、山門・本堂・庫裏・鐘楼・地蔵堂・弁天堂・稲荷社があり、平地で南面した寺観である。
約300年前の、密雲祖印和尚中興時の寺観をほぼ保持していると言われる。
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昭和10年(1935)建造。
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旧本堂は第9世江岸和尚が新築したが、築後わずか2ヵ月の明治28年(1895)8月8日の落雷で焼失。江岸和尚は勇猛心を発し、明治33年(1900)に寄付金募集を始め、明治45年(1902)に建物の再建を始めた。大正5年(1916)に本堂に還仏の入仏式が行なわれた。現在の本堂はそうした因縁の上に存立している。
大正6年(1917)に廊下の壁板を修造。平成6年に縁が新調された。
平成22年(2010)、本堂屋根葺き替えを実施。
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昭和16年建造。
吊られている鐘は、天保13年(1842)3月4日から鋳造が始まり、同月11日の引渡しである。爾来160年余を経て今日に至る。第二次大戦の金属回収に伴う供出の危機もあったが、幸いにして免れている。
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地蔵堂に安置される地蔵像(石像)の台座に
宝永二年 三界万霊
同円種智 五月良辰
と、宝永2年(1705)五月良辰の銘がある。
地蔵像の両脇には仁王像が安置してある。
当地域には、六地蔵めぐりがあり、広く人々の信仰を集めている。大徳寺の地蔵尊は第五番である。
毎年8月地蔵盆の万灯会では多くの参拝者で賑わう。
平成27年8月22日、地蔵盆の写真(撮影:村上義廣氏)
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弁財天像は、3世翠峰慧然が享保2年(1717)に造立安置したものである。
像の台座銘は、
鎮守弁財尊天
享保二丁酉孟良
現住比丘翠翁
とある。
毎年6月の第2日曜日に「弁天祭」を厳修している。
令和元年6月9日、弁天祭の写真(撮影:村上義廣氏)
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正一位玉光稲荷大明神と称す。第9世江岸和尚の代に京都の伏見稲荷大社、権太涌の峰(ごんだゆうのみね)から勧請して、造立したものである。「あぶらあげ」などの供物を欠かすことがなく、願い事を必ずかなえてくれる「だいとくじのおいなりさん」として、信仰されている。参道には八本の鳥居が立つ。
毎年2月には初午祭、11月にはお火焚祭を開催する。
玉光稲荷大明神
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大徳寺書院の善祥庵は昭和63年(1988)4月3日、大阪の岡田家(鰍ゥね善)帰依により落成。床框(とこかまち)などに山中塗の漆塗り(たたき塗)を施した床がある。塗師は前瑞雅峯である。
接客用の間として、または法要の控え室として使用。
尚、「善祥庵」は大阪に本店を置く鰍ゥね善が運営する菓子ブランドの由来ともなっております。
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