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大徳寺は、東嶺円慈(1721−1792)の由緒寺である。東嶺は、近世臨済禅中興の祖と言われる白隠慧鶴(1686−1769)の高足の一人である。ここに大観文殊撰『龍澤創建東嶺慈老和尚年譜』
により、その生涯を略述する。
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出生・出家・行脚
東嶺は、享保6年(1721)、近江小幡駅出町(滋賀県東近江市五個荘小幡町) に薬屋を営んでいた中村善左衛門の嫡子として生まれた。享保10年(1725)5歳のとき、日向(宮崎県)大光寺の古月禅材(1667―1751)が中村家に投宿した。このとき父が鄭重に接待する様子を見て、自分も出家して古月の下で修行し、父母や造業の衆生を利済したいと思ったという。享保14年(1792)9歳のとき近江能登川大徳寺(当寺)の亮山恵林(?―1750)につき出家し、諱を慧端とした。以後大徳寺で修行に励むも古月への追慕は消えておらず、元文2年(1737)17歳のとき、「南方発足之文」
を著し大徳寺を出奔、単身日向へと向かい、古月下に入門した。しかし大光寺はあまりに他事が多く、また古月も隠居の身となっていたため、東嶺は不満に思い、2年で古月の下を去った。
白隠のもとへ
次に東嶺は、丹波(京都府)法常寺の大道文可(1680―1735)に参禅する傍ら、近江大日寺の十洲和尚により理趣分口訣を受けたり、洛西の大乗戒禅阿闍梨により求聞持 の念じ方を教わったりして日々を過ごす。そして寛保元年(1741)、京都岡崎の五劫庵で21歳の春を迎えた東嶺は、南詢の志を発してからの五六年を反省し、山谷に入り一度無師自悟の外道に堕ちてみようと決意し、近江に帰り亮山に遁居の地の紹介を頼んだ。そして亮山と近江妙楽寺諦道祖実の紹介により、現在の蒲生郡日野町大字川原にある「杉杣の蓮華谷」にて独接心を行い、大悟を得た。独接心を終えた東嶺は、古月の下にいたとき話に聞いた駿河(静岡県)松蔭寺の白隠慧鶴の下へ行くことを決意、寛保3年(1743)23歳にして白隠下へ入門した。
こうして以後東嶺は白隠の下で修行することとなるが、寛保3年から延享4年(1747)の間、母の病により何度も故郷へ戻り、手厚い看病を行っている。延享四年、母が亡くなったときは故郷にて7日間喪に服し、また寛延2年(1749)に父が亡くなったときもすぐさま故郷にかけつけ、17日間喪に服している。出家して世俗を離れた身とはいえ、東嶺の父母に対する孝行は止まなかった。
さてその間、寛延元年(1748)、28歳にて『宗門無尽灯論』を著し、白隠にこの書を見せたところ、「此の論たるや実に後昆の依止と為らん」と賞賛したという。翌2年(1749)、東嶺は白隠より印可を得た。
その後、宝暦2年(1752)、32歳の東嶺は、白隠の命により駿州雛村の無量寺(現在は廃寺)に入寺している。東嶺はこれを望んでいなかったようだが、白隠に三つの条件を出してこれを受けた。その条件とは、「無量の嘱を稟けて嗣法すると雖も決して転じて松蔭に住せざること、是れ一。無量の成敗、他の議を容れざること、是れ二。我れ嘗つて遊方を志ざす。時として後生晩輩、以って守居に当つこと、是れ三なり」というものであった。
龍沢寺創建
さて宝暦5年(1755)、35歳の東嶺は白隠の勧めにより京都妙心寺にて垂示式を行う。「東嶺」と名乗るようになったのはこのときである。宝暦6年(1756)から翌年にかけて、白隠は東嶺に松蔭寺を補席せしめようとするが、前述の三つの条件を盾にこれを断り続ける。白隠がいかに東嶺を頼みとしていたかを物語るエピソードである。にもかかわらず東嶺は、無理矢理受けた無量寺から出奔するのである。
宝暦10年(1760)、またも白隠は東嶺に伊豆三島に龍沢寺創建の話を持ちかける。東嶺はこれを受けて龍沢寺創建をなしとげ、以後は龍沢寺に住む。白隠は明和5年12月11日(1769)に世を去るが、それまで東嶺は、衰えつつある白隠の手足となって尽くすのである。
龍沢寺出奔、故郷へ
白隠寂後の東嶺は、龍沢寺の席を暖める暇もないほど、各地からの要請に応じ講義に出かけている。また神道に対する熱も高まり、安永5年(1776)56歳時に起こった龍沢寺火災の際には、神乗研究の好機とばかりに火も収まらない内に江戸へと逃げ去った程であった。
寛政元年(1789)69歳のとき、尾張(愛知県)犬山瑞泉寺の塔頭輝東庵に移り住み、またその翌々年には故郷の近江齢仙寺(東近江市五個荘中町)へ曳杖する。そして寛政4年(1792)、能登川大徳寺にある受業師亮山の塔を拝し、齢仙寺にて間もなく示寂した。享年は72歳。
諡号仏護神照禅師。著述に『達磨多羅禅経説通考疎』『宗門無尽燈論』『五家参詳要路門』『父母恩難報経註解』などがある。
《参考文献》
大観文殊『東嶺和尚年譜』(『白隠和尚全集』一)、西村惠信『訓註東嶺和尚年譜』(思文閣出版)、西村惠信訓註『宗門無盡燈論』(龍沢寺)、藤本治『無の道 宗門無尽燈論』(春秋社)など。
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門前に建立されている石碑
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